藤田傳・細見 第十回
『異説・豊後訛り節』と『虎美』(中)

 

 劇団櫂での初演の後にも、藤田は"荒木虎美事件"を、横浜放送映画専門学院から改編して3年制の専修学校になった日本映画学校の俳優科第1期生卒業公演で上演 した(1989年)。タイトルは『えせ侍の刀いじり。嘘で丸めて、足で捏ねる。』(以下、『えせ侍』)。まことに長ったらしい題名で、サブタイトルに「三億円保険金殺 人事件」となければ、何のことだか知れない。「えせ侍」とは荒木虎美のことであろ うか。あるいは、荒木を強引に起訴へ持ち込もうとする警察・検察のことであろうか。

私には後者のように思えるのだが、しかし頻々と詐欺を繰り返した荒木説も捨てが たい。

日本映画学校第 1 期俳優科卒業公演
えせ侍の刀いじり。嘘で丸めて、足で捏ねる 三億円保険金殺人事件
チラシ/台本


企画 沼田幸二 作・演出 藤田傳
1989 年 3 月 7~10 日
青山円形劇場

 ここで藤田は、荒木のマスコミへの露出、逮捕、尋問、弁護士の罷免、そのうえで予想される処刑までの事件の全貌を描き出した『豊後訛り節』から、舞台を別府東署内部に限定し、テーマを、荒木が妻子を乗せて冬の海へダイブし、自分だけが生き残 るなどということが果たして可能かどうか、に絞り込む。検察の用意した数多くの状日本映画学校第 1 期俳優科卒業公演 えせ侍の刀いじり。嘘で丸めて、足で捏ねる 三億円保険金殺人事件 チラシ/台本企画 沼田幸二 作・演出 藤田傳 1989 年 3 月 7~10 日 青山円形劇場況証拠のうち、黒木(本作では、荒木は”黒木虎美”となる)が過去に犯した犯罪を 知る退職警官を捜査本部の本部長が呼び出し、推理させるのが前半の展開だ。前作で も十分に語られていたことだが、荒木(黒木)は、21歳で逮捕され、起訴された自宅への放火の罪で7年の獄中生活を送った。以後、度重なる詐欺、恐喝で′”事件”当時 の47歳まで7回の罪を重ね、実に22年の獄中生活を送っていた。本部長はそれらの罪 過から状況証拠を固めようという目論見なのである。

 呼び出されたのは、元・防犯課の婦警、元・捜査二課長で現・パチンコ屋の用心棒、 それにかつて黒木を直接取り調べたことがある元・大分暑の刑事の4人。しかしそう した県警本部の目論見も、結局は、運転席にいたのが黒木だったとしても(彼は、運 転していたのは妻で、自分は助手席にいた、と主張していた)、割れたフロントガラ スからの脱出は事実上、不可能という一事に論議は収斂してしまう。しかも、黒木が 7社に分けて加入した妻子を被保険者とする3億2千万円もの保険金は彼が生き残 ってこそ効力を発揮する。

 後半は、『豊後訛り節』とほとんど変わらない。マスコミに突き上げられた警視庁・ 検察が逮捕に乗り出す前に、黒木の犯意を立証しておかなければならない県警は、拷 問で口を割らそうとして弁護人に勘づかれるものの、その弁護士を黒木は解任する。 そこまでは同じだが、弁護士が、自動車が海中から引き揚げられた当時、運転席のシ ートがどうなっていたかを本部長に確かめるところなどが加わっている。上背の高 い黒木では小さな妻の運転席のままでは運転はできない。ましてそこからの脱出な ど到底不可能だ。にも拘らず、黒木は百戦錬磨の弁護士を解任してしまうのだ。「(取調べが)終わったの」と本部長が洩らすのが、いずれの作でもラストだ(正確には後者では「いよいよ、私たちの手を離れる時が来たな」という述懐になる)。両作とも に、この後、事件の顛末と一、二審の行く末がナレーターないし男女の「影」によっ て語られるが、『豊後訛り節』と『えせ侍』の間には5年の隔たりがあるから、一審 が死刑判決であった後の前者と二審も死刑となって上訴した最高裁での審理中に病 死した後の後者では内容に些かの違いがある。ちなみに、私が観た『異説・豊後訛り 節』では、最後に天井から首吊りの綱が降りてきた。近年では大逆事件を描く劇作な どでよく見る演出だが、私が知る限り、天井から綱の輪っかが下りてくるという処刑 を連想させる象徴的な演出はこれが初めてだった。ただし、その罪人が未決のまま病 死してしまうとはさすがに藤田にも予想がつかなかったのであるが。

 日本映画学校の卒業公演である『えせ侍』には様々な制約が付き纏ったことは想像に難くない。前身の横浜放送映画専門学院の卒公の項でも述べたが、藤田は、俳優科 の卒業生にとっては一世一代の晴れ舞台になるかもしれぬ公演に誰もが活躍できる ように役を与えた(役者のみならず、スタッフとしても)。そのために藤田はあえて 自ら新作を書いたのであり、会場も都心の青山劇場の円形劇場を恒例とした(この卒 公の形式は、日本映画学校が4年制の(財)日本映画大学になり、俳優科がなくなる 2012年まで毎年続き、後に作・演出が同校教諭の河本瑞貴、次いで石橋昇、山本隆世 らに引き継がれた)。ちなみにこの年の卒業生からは東城亜美枝がハチマルに入団している。

 だが、『えせ侍』を単に卒公用の台本と見なすのは間違いだ。大筋では『豊後訛り 節』と変わらぬものの、ここには、ハチマルに向けて書かれる戯曲『虎美』(89年) の萌芽とでもいうべきアイデアが詰まっているからだ。私は、『虎美』公演の1年ほど前に「今度の作品はレジナルド・ローズの『十二人の怒れる男たち』の日本版にな る」と、藤田が愉快そうに話すのを聞いている。『えせ侍』を観ていなかった私は、まさかそれが『豊後訛り節』の書換えであるとは知らなかった。次号では、傑作『虎美』について詳しく語りたい。

 

七字 英輔  しちじ えいすけ

 1946年大分県生まれ。月刊『ローリングストーン』(日本版)、季刊『is』(ポーラ文化研究所)各 編集長を経て、編集プロダクション(株)テスピスを設立(代表取締役)。82年頃より各紙誌に演劇批評 を執筆する。86年~96年まで前橋芸術祭の総合プロデューサーを務める。92年に韓国から劇団木 花を、96年~07年に4回にわたりモルドバからウジェーヌ・イヨネスコ劇場を、02年にルーマニアからラドゥ・スタンカ劇場を日本に招聘する。またシビウ国際演劇祭(ルーマニア)、キシナウ国際演 劇祭(モルドバ)の窓口役を果たすとともに東欧演劇との積極的な交流を行っている。

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