「1980」と書いて「イチキュウハチマル」

横浜放送映画専門学校(現:日本映画学校 理事長=今村昌平)を母体として、文字通り1980年に結成。以来、劇団主宰者であり劇作・演出家の藤田傳の作品を支柱に、毎年新作の上演、年間では2〜3本の公演活動を継続している。

公演は、首都圏の中・小劇場を主としているが、その他各種の演劇祭(国内・海外)や、全国の演劇鑑賞団体の呼びかけに応じて各地の公演も行っている。

劇団1980が、結成以来一貫してこだわり続けているのが『喜劇ニッポン』

この奇妙な国「日本」とは何なのか? 
このドしがたい国民「日本人」とは何なのかをテーマに、社会が注目した事件や歴史の中に表出した出来事を題材として取り上げるのではなく、近代化の歴史から忘れ去られたような出来事や、現代社会の底辺に埋もれた事件に着眼してみることにハチマル作品の特徴がある。

藤田傳の劇作は、今日の日本が、その平和と反映の引き換えのように切り棄て、見限り、手放したものを丹念に拾い集め、そこに隠れている社会矛盾やからくりを照らし出しながら、さらに、その矛盾やからくりの上に立っているにもかかわらず安穏として平和を謳歌し、タコのように繁栄にしがみつく”ドしがたい日本人”の姿に、私たち自身を投影しようとするものである。

劇団1980の舞台は、この藤田傳の劇作を基に、
”ドしがたい日本と日本人”の姿を描いていく集団喜劇なのである。

これまでに、さまざまな切り口で「日本」と「日本人」の検証を行ってきたが中でも、社会から見捨てられた老人達のしたたかな、しかし未来無き抵抗を描いた『老人3部作』高度成長の恩恵に浴することもなく、僻地として見放された地方の村々の視点から戦後日本の歩みをみつめた『ツイテナイ日本人3部作』、明治以降の国家統一政策の狭間で起きた名も無き事件を、民間伝承芸能という形態で再現しながら、近代日本史のからくりを解き明かす『日本土民考3部作』などの舞台は、軽妙なアンサンブル・優れたエンターテイメントとしても評価され、新聞紙上等で高い支持を得ることができた。

また、永六輔氏のベストセラー『大往生』を秋田県・二ツ井町との共同製作で映画化。

 藤田傳が初監督、劇団と地方自治体共同の自主製作という初の試み、そして30代の劇団の俳優達が明治・大正生まれの老人群像を演じるという大胆な手法により、'97年に55日間の二ツ井町ロケを敢行。98年10月に公開した。

公演は、首都圏の中・小劇場を主としているが、その他各種の演劇祭や全国の演劇鑑賞団におよる呼びかけに応じて各地での公演も行っている。中でも『素劇 あゝ東京行進曲』は、これまでに300ステージあまりの地方公演を行ったロングラン作品である。さらに、東欧ルーマニア、モルドバ、南米ブラジル、パラグアイなどの海外公演も実施。ルーマニア・シビウ演劇祭への日本からの初参加(『謎解き 河内十人斬り』…ルーマニア・シビウ国際演劇祭'95)、モルドバの首都キシノフでは、日本の現代演劇の初上演(『黒念仏殺人事件』…ルーマニア・モルドバ公演 2000)、南米ブラジル・サンパウロを中心として、北はアマゾンの奥地マナウス、東はリオ・デ・ジャネイロ、西はパラグアイ・イグアスまで、日系人コミュニティー10箇所をめぐり、日本人初のマナウス「アマゾナス劇場」公演(『素劇 あゝ東京行進曲』ブラジル・パラグアイ10箇所11回公演 2004)を行うなど、意欲的な演劇公演を実施。海外の演劇団体との交流も深い。


代表作品紹介

「謎解き 河内十人斬り」 1990年 朝日・読売両紙で演劇部門年間ベスト5
1992年 朝日新聞演劇部門年間ベスト5
「男冬村村會議事録」 東京国際演劇祭’1992、招待劇団として参加
第一回読売演劇大賞・演出家部門優秀賞
「秘事神楽 鬼八塚講」 ルーマニア・シビウ国際演劇祭参加
第29回・紀伊国屋演劇賞個人賞(脚本・演出/藤田傳)
「素劇 あゝ東京行進曲」 ルーマニア・シビウ国際演劇祭’2000 参加
日本・ルーマニア交流百周年記念事業公演参加
「謎解き 河内十人切り」 「サンパウロ市市制450周年」「日本人アマゾン入植75周年」
およびブラジル・パラグアイ公演
「行路死亡人考」
「黒念仏殺人事件」
「戦争案内」 
「ええじゃないか」

公演年表はこちらをご覧ください。